元プロ野球選手、公認会計士への転身
プロ野球選手といえば、野球一筋の体育会系のイメージが強いですが、元阪神タイガースの投手・奥村武博さんは、その固定観念を覆しました。
1997年に阪神へドラフト6位で入団し、プロ4年間で1軍登板はゼロ。それでも第2の人生で9年間猛勉強を続け、公認会計士試験に見事合格。
現在はビジネスマンとして活躍しています。奥村武博さんの挑戦は、セカンドキャリアの可能性を示す象徴的なエピソードとしてご紹介します。
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公認会計士試験の難易度とは?
公認会計士試験は、会計分野の最高峰資格として知られ、司法試験に匹敵する難易度です。試験は2段階に分かれ、マークシート形式の短答式試験と、記述式の論文式試験があります。
奥村さんは挑戦を続け、ついに合格!
奥村さんは、最初の2年間で短答式に挑戦するも3年連続で不合格。しかし、2009年に初めて短答式を突破し、さらに論文式試験にも挑みましたが、そこでも3回不合格を経験。
周囲からのプレッシャーに悔しさを感じながらも、諦めずに努力を続けました。最終的にその経験が起爆剤となり、難関試験を突破しました。
最後まであきらめなかったのが、合格の勝因です
(中略)
奥村さん 目指す道はこれだと。04年夏から大阪の梅田にある資格予備校に通いました。昼はホテルの調理場、夜6時から学校の生活です。でも勉強することに不慣れで長続きしない。気分転換と称して、飲みに逃げることもありました。公認会計士の試験は1次がマークシートの短答式で合格すると2次の論文に進める。奥村さんは2年勉強して06年に初受験。だが3年連続1次で落ちた。それでも09年、「ラッキーパンチ」で初めて1次を突破。1次に受かると翌年から2年間、短答式試験も免除される。だが道のりは険しく、3年連続2次で落ちた。
奥村さん 2次に3度落ちることを“三振”といいます。周りの人は、「元プロが三振したらダメだろう」と…。悔しいですよね。
奥村さんは07年から東京に居を移し、自身が通う資格予備校の職員になっていた。受験生であり、受験生も世話する立場だ。毎年12月には試験合格者の祝賀会があり、そのホストを務めるのも仕事だった。「おめでとうございます」と笑顔で案内したり、記念撮影したり…。自分は落ちているのに、お祝いムードを演出する仕事だった。11年に“三振”した時、見かねた上司が食事に誘ってくれた。
引用 日刊スポーツ「奥村武博さんプロ野球初の公認会計士/あの猛虎は今」
セカンドキャリアの鍵となる資格取得
プロ野球選手から公認会計士へという奥村さんのキャリアチェンジは特別な例ですが、人生において誰しも転機を迎える瞬間があります。
そんな時に強い武器となるのが「資格」です。
特に、公認会計士をはじめ、弁護士(司法試験予備試験)、不動産鑑定士といった難関国家資格は、安定したキャリアを築く上で大きな力となります。
奥村さんは自らの経験をもとに、資格取得の重要性を訴えています
非常識合格法で難関突破を目指す!
公認会計士試験のような難関資格でも、効率的な学習法を取り入れることで合格が現実的になります。
クレアールが提唱する「非常識合格法」は、試験問題を徹底分析し、重要範囲に絞って学習する独自の手法。この方法を活用すれば、無駄を省きつつ合格を目指すことができます。
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【まとめ】これから合格を目指す受験生へのヒントと応援に
奥村さんの挑戦と非常識合格法は、どちらもセカンドキャリアを成功に導くヒントに満ちています。
もちろん次のステップとして公認会計士試験野合格を目指す受験生の方に、ぜひおすすめしたい内容です。